千鳥の香炉・宗祇の香炉

香道一口メモ・138【千鳥の香炉①】の記事の中に、「千鳥の香炉」と「宗祇の香炉」の名があります。

名古屋・徳川美術館に収蔵されている大名物「千鳥の香炉」は特別展などで展示されることがあり、ガラス越しにではありますが数回見た覚えがあります。

青磁の色の深みと肌の質感は、これぞ大名物と呼ぶにふさわしい時代物で、ただただ見入るばかりでした。

※図録『香の文化』より

平成8年の徳川美術館秋季特別展『香(かおり)の文化』図録の解説を以下に引用します。

「中国龍泉窯の砧(きぬた)青磁の香炉で、胴に三段の横筋が廻り、三つの足が浮き上がっている。この足が浮き上がった姿の香炉を、千鳥が片足を上げるしぐさに例えて「千鳥形」と呼んでおり、本品はこの手の本歌と目されている。石川五右衛門が豊臣秀吉の寝所に忍びこんだとき、この香炉の蓋に付けられた千鳥が啼いたため捕えられたという伝説がある。その千鳥の鈕(つまみ)は後藤祐乗の作と伝えられ、明時代の堆朱輪花形の台が添えられている。『古今名物類聚』をはじめとする名物記には武野紹鷗所持とし、のちに秀吉、家康と伝来し、家康の歿後、駿府御分物として尾張徳川家初代義直に分与された。(佐藤)」

「千鳥の香炉」については、古書にその名が散見されるようです。

例えば『茶話指月集』では、利休は宗祇から千貫で買い求めた千鳥香炉の足が長いとして玉屋(玉造りの職人)を呼び寄せて一分(約3mm)切らせたというお話が載っています。
また附記として、ある茶会の後に蒲生氏郷らが利休に千鳥の香炉を見せてほしいと頼んだところ、利休は不機嫌な様子で香炉を取り出し、灰を打ちあけ、ころがして出したというお話が添えられています。
更には、雪の日に、露地で藪内紹智に千鳥の香炉を手渡したというお話まで載っています。

さて、「宗祇の香炉」です。

「宗祇の香炉」の名があるのは『信長公記 巻八』のようです。

「天正三年 乙亥 三月十六日 今川氏眞御出仕百端帆御進上以前も、千鳥の香炉宗祇香炉御進献の処、宗祇香炉被成御返し、千鳥之香炉止置せられ候べき。」(『信長公記、巻之中』太田牛一著)

信長は、今川氏眞がさし出した千鳥の香炉と宗祇の香炉のうち、宗祇の香炉は返し、千鳥の香炉だけ受け取ったと読めます。

では、宗祇の香炉はその後どうなったのでしょうか。

この香炉については、現存しているのかいないのか、現存しているのならどこに所蔵されているのか、今のところ全く手掛かりがありません。

なんとも調べようがありません…。

香道一口メモ・139【千鳥の香炉②】

信長が入手した今川家の香炉はやがて豊臣秀吉の所有となり、石川五右衛門が秀吉の寝室に忍び込んだ時、この香炉が鳴いたためにとらえられたという有名な伝説が生まれた。秀吉のつぎは家康、家康から尾張徳川家に伝来されている。千鳥の香炉といわれるのは、三本の脚の一本がわずかに浮いているのを千鳥の足の姿に通わせてのことらしい。

※胡蝶侘助