折句・新茶
NHKラジオR1から二つ。
①新茶の初せりが静岡で行われ、1kgに139万円の値がついたそうです。(御祝儀!)
長寿の茶壽のお祝いは108歳、今年は平成31年、合わせた数字の139万円と仲買人は最初から決めていたそうです。
他の追随を許さず、即決!であったに違いありません。
なお、茶の文字を分解すると十十・八十・八となり、108とか…。
②朝番組「マイあさ!」を何気なく聞いていたところ、美術ライター・橋本麻里氏が「美術館で会いましょう」コーナーで、ミホミュージアムで開催中の「大徳寺龍光院 国宝曜変天目と破草鞋」を紹介していました。
何んというタイミングでしょう、昨日、訪れたばかりです。(^O^)
『原色茶道大辞典』(淡交社)には、「龍光院」の説明が以下のようになされています。(一部)
「大徳寺の塔頭。慶長十一年(1606)江月宗玩に親しんだ黒田長政が亡父如水の菩提所として建立。開山は春屋宗圓、その隠居所となる。次いで同十七年、小堀遠州が江月和尚を開山として弧蓬庵を境内に建立(寛永二十年に現在地に独立移建)、なお佐久間将監の寸松庵も境内に建立されたりした。江月和尚の寺として名高く、同和尚が堺の天王寺屋 津田宗及(そうぎゅう)の息子なので芸術眼に恵まれ、また宗及の遺品も伝えられた。」
堺の豪商で茶人でもあった天王寺屋・津田宗及の息子が江月宗玩和尚ですから、龍光院に数々の名宝が所蔵されている理由がよく解ります。
それにしても、名宝が散逸することなく四百年の歴史をくぐり抜け、今に伝えられていることは奇跡とも云えそうです。
今回、数々の貴重な寺宝を拝見できたことは本当にありがたいことでした。感謝!
詩歌おちこち 【女郎花香】
|『古今和歌集』巻第十 物名 439
| 朱雀院のをみなへしあはせの時に、をみなへしといふいつもじをくのかしらにおきてよめる つらゆき
をぐら山みねたちならしなくしかの へにけむ秋をしる人ぞなき〔大意〕小倉山のあの峰をそこに立って踏みならしながら悲しく鳴く鹿が、過ごして来たであろう秋の季節の長い年月を本当に分っている人などいないのだ。
*和歌出典『新編国歌大観』(角川書店)
*大意出典『新日本古典文学大系』(岩波書店)
※紀貫之(きのつらゆき)
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■折句(おりく)について、2018.12.17付のblog記事【折句・沓冠折句】の一部を転載します。
折句は「和歌の技法の一種。物の名など、仮名書きで五字の語句を、各句の頭に一字ずつよみ入れたもの。また、各句の首尾によみこむ沓冠折句(くつかぶりおりく)を含めて呼ぶこともある。」と、『日本国語大辞典』に記してあります。
【折句】(おりく)
◆下の歌は、組香「女郎花香」の香六種の内の[を・み・な・へ・し]を詠み込んだ折句となっているもので、組香の証歌ともなっています。
| 古今和歌集 巻第十 物名 439
| 朱雀院女郎花合せの時に、女郎花と言ふ五文字を、句の頭に置きて、よめる (貫之)
小倉山みね立ちならし鳴く鹿の 経にけむ秋をしる人ぞなき
をぐらやまみねたちならしなくしかの へにけむあきをしるひとぞなき
◆同様に、組香「杜若香」の香六種の内の[か・き・つ・は・た]を詠み込んだ折句となっている歌です。
| 古今和歌集 巻第九 羇旅歌 410
| 東(あづま)の方へ、友とする人ひとり二人誘ひて行きけり。三河国八橋と言ふ所に至れりけるに、その河のほとりに、かきつばた、いと面白く咲きけるを見て、木の陰に下りゐて、かきつばたと言ふ五文字(いつもじ)を句の頭(かしら)にすゑて、旅の心をよまんとてよめる (在原業平朝臣)
唐衣着つゝなれにしつましあれば はるばるきぬる旅をしぞおもふ
からころもきつつなれにしつましあれば はるばるきぬるたびをしぞおもふ
この歌は「むかし、おとこありけり。」で始まる『伊勢物語』九段にも出てきます。
【沓冠】(くつかぶり・くつこうぶり)
◆沓冠折句は、ある語句を各句の初めと終わりとに一音ずつ読み込むもので、『栄花(えいが)物語』の[あはせたきものすこし](合せ薫物少し)を詠み込んだ歌が、例としてよく引かれています。
逢坂もはては往来の関もゐず 尋ねて訪ひこ来なば帰さじ
あふさかもはてはゆききのせきもゐず たづねてとひこきなばかえさじ
『新編日本古典文学全集31 栄花物語①』(小学館)の<巻第一 月の宴>の該当部分と訳は、2018.12.17のblog記事で紹介しました。
村上天皇が詠んだ歌に、一人だけ見事に応えた広幡(ひろはた)の御息所(みやすどころ)の逸話となっています。