雛まつり・上巳の節供

今日3月3日は雛まつり、上巳(じょうし)の節供、桃の節供の日です。
僅か150年ほど前までは、奇数(陽数)の三が重なる旧暦三月三日の祝いの行事でしたが、明治五年の改暦に伴なって、節供の日付は現行グレゴリオ暦へそのままスライドされて、現在の3月3日になっています。

昔々、中国では旧暦三月の最初の巳(み)の日の行事として河で禊を行なったそうです。
それが、重陽思想を受けてでしょうか、三国時代の魏の国で三月三日に固定されたのだとか…。

河で禊と云えば、昔、人の形を記した紙(形代)で身体を拭い、付いた穢れを川に流す風習があったように記憶しています。
今でも地方に残っている流し雛の風習は、形代(かたしろ)の豪華バージョンと云えるのかもしれません。

日本各地で様々な雛飾りが行なわれています。
従来通りの段飾り、コンパクトな男雛・女雛の飾り、鄙びた吊るし雛、果ては雛段ピラミッドなどなど多種多様です。
雛飾りの期間も、3月3日まで、旧暦の三月三日(今年は3月26日)まで、月遅れの4月3日までと、全国各地いろいろでフレキシブルに雛飾りを長く楽しめるようになっています…。(^O^)

※徳川美術館ロビーの雛飾り(~4月5日)

名古屋・徳川美術館の特別展「尾張徳川家の雛まつり」でパネル展示されていた雛祭りに関わるウンチクを二つ。

 

◎菱餅の深い歴史
「平安時代、宮中で行われた歯固めの儀式(固いものを食べて歯を丈夫にし、長寿を願う儀式)に、餅(白)が登場します。室町時代には、足利将軍家で、お正月の歯固めの儀式に菱餅が用いられたという記録があります。 江戸時代に入るとその白を基調として、大名は白と緑の二色庶民は桃・白・緑の三色を用い、雛まつりに餅を供えました。」

◎雛まつりにのむ 白酒
「元々は、桃の花びらを浸した「桃花酒(とうかしゅ)」というものが飲まれていました。桃の花には「邪気払い」の意味があるといわれてます。 江戸時代頃からは白酒が飲まれるようになりました。近年は甘酒が飲まれています。」

桃の花と聞くと、香道の組香「三千年(みちとせ)香」の証歌が頭に浮かんで来ます。

三千年になるてふ桃のことしより 花咲く春にあふぞうれしき

『拾遺和歌集』巻五賀288の凡河内躬恒の歌です。
みちとせになるてふもものことしより 花さく春にあひにけるかな
〔大意〕三千年に一度実が成るという桃が、今年から花が咲くというめでたい春に、ちょうど巡り合ったことだ。
※和歌出典『新編国歌大観』(角川書店)
※大意出典『新日本古典文学大系』(岩波書店)

三千年に一度花が咲き実がなるという桃は、中国西方の山に住む仙女・西王母が不老長寿を願う漢の武帝に献じたと云う伝説の仙桃です。
なお、西王母は女の仙人を束ねる母で、男の仙人を束ねるのは東王父とか…。(共に椿の銘柄になっています)

木火土金水の五行説では、桃は西に配されています。(東は李、南は杏、中央は棗、西は桃、北は栗)

五行

さて、桃太郎伝説です。
桃太郎は西方から、酉(とり)と申(さる)と戌(いぬ)を従えて、鬼門・艮(うしとら)<丑と寅の間>に住む鬼を退治すると云うお話です。なお、鬼は丑(うし)寅(とら)にいますから、牛の角を生やし虎のシマシマパンツをはいているとか…。

因みに、桃太郎、金太郎、浦島太郎の三太郎は英雄(au)です、なんちゃって…。

と、ここまで書いてきましたが、なんだか以前記事にしたような内容ばかりになってしまいました。

ちっとも進歩がありませんね…。(^O^)