十種香・十種茶

昨夜の「ふたご座流星群」。
You Tubeでは幾つかの地点からLIVE配信がなされていました。
和歌山からの配信を0時過ぎから少しの間見ていましたが、一、二分の間に一個ぐらいの割合?でしっかり見ることができました。
幸せ~。(^^)

ふとした思い付きから始めた組香のデータベース、そこから見えてきたものは先達の深い深~い洞察力と知識、加えて千変万化の応用力と遊び心でした。
当たり前の事かもしれませんが、組香の形は似ていても何かしらの変化が付けてあり、単に香名を変えただけというようなものは知っている範囲内では見当たりません。
江戸時代に数多く作られた組香は、時を経ながら取捨選択を繰り返し、現在のような形にまとめられたと推測していますが、それにしてもあの手この手の変化のつけようです。

例えば、基本中の基本【十種香】。
一として 四包に認め内一包試
二として 同断
三として 同断
ウとして 一包に認め無試

聞き方は、試みの香を聞き終えた後、出香十包を打ち交ぜ炷き出されたものが何であるかを正聞きで答えるというものです。
香四種、計十三包、試み三包、出香十包という形の組香は、「十種香」の他にもありますが、知っている範囲内でよく似ているのは正月に催される「萬歳香」かもしれません。

【萬歳香】
一として 四包に認め内一包試
二として 同断
三として 同断
客として 一包に認め無試

聞き方は「十種香」と同じ、記紙の書き方も同じですが、記録紙本香のところには一を千代、二を八千代、三を細石、客を巌と記し、記録の奥に歌一首を書くことで、「十種香」とは趣が全く異なる組香となっています。
なお、試み香の申し送りは千代・八千代・細石(さざれいし)とし、全当りには点数の処に「万歳」と記されるようです。

組香は実にいろいろです…。(^^)

組香の基本とされる「十種香」(あるいは「十炷香」)は14世紀に既に行われていたようです。
(十炷香は、「一」「二」「三」各三包と「客(ウ)」一包の計四種十包を炷き出すというもので、試香がありません。)

建武元年(1334?)の「二条河原落書云々」には、「此比、都ニハヤル物、夜討強盗謀綸旨(中略)茶香十炷ノ寄合モ」と書かれていることから、既にこの頃には十種香(あるいは十炷香)が行われていたように推測されます。(現行通りのものかどうかは解りませんが…)
なお、今で云う「十種香」の記録として残っているものは、応仁の乱(1467~1477)後あたりからのようです。

茶でも「十種茶」の記録があるようです。
『原色茶道大辞典』(淡交社)には、「闘茶」の項目の中で、康永二年(1343)の記録「本非十種次第」が残存しているとしたうえで、標準的な四種十服(三種は各三服で有試、一種(客茶一服)は無試)の茶勝負である吉川家本『元亨釈書』紙背の延徳三年(1491)の記録が紹介されています。

なんだか、「十種香」の記録と見紛うほどです。(^^)

茶道では、江戸時代中期に如心斎宗左と一灯宗室が無学和尚の偈頌を得て制定した七事式の一つ「茶カブキ」が、「闘茶」の名残を今に伝えています。

「茶カブキ」は、試み茶二服(竹田・上林)を味わった後、試み茶と同じ濃茶二種類に伏せ茶(客)一種類の計三種類をいただいて、それらを飲み分けて答える式法となっています。

七事式[花月・且座・廻り炭(炉の時季)・廻り花・茶カブキ・一二三・員(数)茶」はどれも良く考えられていて、とても面白い(不謹慎ですが…)と思っています。

どの式も、懐かしい~。(^^)

ところで、前回の記事「歳暮香の名目」では、「年内立春」の名目が他の名目のように「歳暮」の語を含まないことからも、しっくりこないというか、モヤモヤしたものを感じていました。
一体それが何なのか、ここ二、三日ではっきりしてきました。

組香「歳暮香」が作られたであろう江戸時代の暦は旧暦です。
従って、当時の歳末・旧暦十二月は立春も目の前で、「年内立春」は歳暮と共にとても直近の事柄であったことが想像できます。
現在では、新暦12月の歳末と立春(2月4日)の間には一ヵ月以上の開きがあるため、名目にある「年内立春」が身近には感じられず、それがモヤモヤの原因となっていたように思います。

旧暦の視点で眺めると、随分異なる景色が見えてきます!
[年・ウ・年]が三炷とも当たれば「年内立春」という名目は、時宜を得た絶妙な名目といえそうです。ハイ。(^^)